40回目の結婚記念日

なかさ

2024年03月19日 06:44

2024-03-18

結婚40周年
おめでとう、私
ありがとう、なかさ1

ひとりになって3回目
最後の方はなかさ1は入院していたから
そこから数えると
ひとりで過ごす5回目の結婚記念日

きっとなかさ1が元気でいたら
節目の年だから旅行くらい行こうよ
って言ってただろうな

25周年には結婚式を挙げた伊豆に旅行に行って
ナンチャッテ衣装を借りて写真を撮ったっけ

男の子の我が子たちは、
親の結婚記念日なんて知らないだろうなぁ
たぶん女の子なら憶えてくれてるんだろうけど

記念日の前日に観たドラマ
(オンデマンド、ツバキ文具店)の台詞に

*** 夫婦どちらか先に逝く時は
  相手が元気に長生きするように
  自分の命を託していくんだ
  だから遺された者は
  笑いながら生きていく責任がある ***

というものがあった

このドラマのこの台詞を
このタイミングで聞いたのには
なにか意味があるようで

なかさからのメッセージのような気がして
思わずメモを取った

もうすぐ、なかさがいなくなって3年になる
私の心は少しずつ変化している

なかさ1がいなくなったことの悲しみ、寂しさ

から

独りで暮らすことの寂しさ、味気なさ、心細さ…
そして、なかさ1へのいたわりのなさへの後悔

前日17日は彼岸の入
追供養のお経をあげて頂いた



お寺の副住職から、最初の時に
「お塔婆はあの世とこことを繋ぐ
 アンテナみたいなものです」
と平易な言葉で教えて頂いた

いつもならお経が終わったら、
お塔婆は副住職に
一緒にお寺に持ち帰って頂いていたのだけど
なんとなく、ただ何となく、
お彼岸のうちは
ここにお塔婆を、アンテナを立てておこうと思った

なかさ1が亡くなってから、
なかさ1の夢を見たことがない

私が冷たいのか、
なかさ1がこの世に思い残すことはないからか?

いや、そんなはずはないだろう
まだ63だったし、孫の成長も見たかっただろうし
ケッパコを改造したキャンピングカーで
旅をするのが二人の夢だった
まして家族に看取られず独りで逝ったこと
淋しくて悔しかったに違いない

そんな泣き言も聞くからさ
そのあとは今色々考えちゃって
情けない私の話を聞いて叱ってほしい
夢に出てきて、なにか言ってくれないかなぁ

お塔婆さん、よろしくお願いしますね

ってことで、ほぼ恒例となっている40年前の1シーン
1984-03-18 伊豆 ラフォーレ修善寺

いわゆる過去の栄光の見せびらかし(笑)
一応こんな頃があったんだぞ、ってことでね
昔話なんてさ、ババァになった証拠だね


あの101回目のプロポーズのロケ地のチャペルで
結婚式を挙げた
あ、言っとくけど、私達のほうがずっと前(笑)
教会での結婚式は、なかさ1の希望が強かった
自衛官時代、
休みには教会に足を運んでいたらしい


真っ赤な打掛けは父の見立て
やっぱりお前には赤が似合うって


この時の父46、母43
今の私より20も若い(笑)

それにしても当時の写真って
表情がツマンナイね
やり直したーい!!!


一般的なケーキカットがイヤで
初めての共同作業としてシャンパンタワーを


前撮りがなかった時代
最初のシャンパンでの乾杯に
ベロっと口をつけただけで目の周りが真っ赤に


髪飾りを取って
このあとはキャンドルサービス
会場に入ったら
姪っ子たちから花冠を頂きました


しょーやんの「お前だけが」を弾き語り
感動してるように見える私は
チューニングしてる時間がなく
始まった演奏に、感動できず
あ〜ぁと思ってるところ 写真はある意味便利だね



この前に異常気象で修善寺は大雪
スタッフの皆さんが雪かきして
無事結婚式ができました
無事、っていうか、、、
着替えをする建物からチャペルまでの外廊下の
アクリルの屋根が雪の重みで落ちちゃってて
本当に皆さん総出で整えてくださって
皆さん見事な雪焼けだったね、、、
ありがとうございました

そして今のツーショット




結婚式で記念のプレートに刻んだ言葉が
今の私の支えにもなる


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